学びの心理学 秋田喜代美
東大教育研究科の先生。第2章からは、秋田先生の質的調査から、授業の観察と、そこから見える教師という仕事についてが語られる。私が好きなのは第1章だ。第2章から始まる具体的な話の前提が書かれている。前提として流してしまう価値観を、言語化し、分類することから、仮説の検証も始まる。とてもかっこいいと思った、こうしなくては具体的に描けないなと思った。
以下、メモ。
p12「過去の文化知識としての学問の世界や現代社会の課題とのつながり、共に学びあう手同士のつながり、過去現在これからを生きる自己の学びの筋道のつながり、この三つのつながりをすべての子どもたちが作れるよう圃場しなければならない。しかも、いつでもどこでも安定して使える知識や技能としてそれらを効果的効率的に習得できる授業を行う必要がある。しかしこの両立は、学校教育のアポリアである。」
→そもそも学校が何を学ぶ場所なのか、何を得る場所なのか定義する必要があるということ。学びというのは最後はその人が生きるためのcapital(資本)だと思う。すずかんの「というよりPBLをしなくては、"真の学び"は始まらない。問題に直面し、板挾みにあって初めて人は考えて学び始めるんだ。」という言葉を思い出す。どんなことが目前に現れたとき、どんな学びが必要なのか、何があれば生きられる資本になるのか。私なりの種類分け、考えてみることにする。
P14「図:未来の学校教育のシナリオ(OECD,2002)より。
現状改良シナシオ ⑴強固な官僚的学校システム⑵市場モデルの拡大
再学校化シナリオ ⑶社会の中核的センターとしての学校 ⑷学習組織の中心としての学校脱学校化のシナリオ ⑸学習者ネットワークとネットワーク社会 ⑹教員大脱出-溶解シナリオ
→・・・だそうだ。秋田先生はシナリオ⑷を希望する。学校の社会的位置付け論は大事だ。これからの社会構造がどこに学校教育を位置付けたいのか、そして位置付けられるべきなのかすり合わせながら、新しい構造を考えていくのだね。
P24「図:5つの原理より。
1 参加の保証 学びへの参加・存在の承認
2 対話の保証 聴きあいの関係
3 共有の保証 一体感、自分たちの言葉を形成することによるかけがえなさの共有
4 多様性の保証 差異の吟味と探求
5 探求の保証 さまざまな観点からの「課題の発見ー追求ー振り返りー見通し」の継続的なサイクル」
→きっと最低限でも3まではもう少し保証されなくてはならないんだと思う。しんどい学校に行くと、そもそも参加の保証や対話の保証さえできていないから、集中もないし、なんとなく疲弊しているし、騒いでいても楽しそうじゃない。一方で進学校に行けば、4、 5まで行き着けていなくて、学びに飽きているような印象があるときがある。次に行かないと、自分で意欲を見つけなかった場合に、舐める、馬鹿にする、以外の道筋がない気がする。
そして後半の研究については、これは研究者のうでが大事な気がした。自分が教員だったら、ちょっとやだなあと思う気持ちを含みながら読んだ。
実際に、「学びの共同体」といいながら、授業をビデオや参観で記録して、反省する佐藤学のモデルは、新任教師の吊るし上げになっている、こうあるべきなのにどうしてできないんだ、やってしまったんだ、と強く怒鳴るのだ、と聞いたことがある。たしかに佐藤さんの批判的な物腰は、人を傷つける危うさがあると去年講演に行って思った。本はわかりやすくて高校生のことに何度も読んだけど、だから現場で魅力があるかは別だ。教室は、失敗できない現場ではあるけれど、先生たちも失敗が許されて、学び、改善していくことが楽しくなる関係性や、ツールを用意しなくては、ただ監視されている苦しさや、固定した正解をなすりつけてしまうことになる。生徒のための学びの場を考えるということは、もしかしたらそれ以上に教員のコミュニティや学びをつくることが大事なのかもしれないなあーすごいなあ先生たちは・・・とまた尊敬する気持ちになった。
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