『熟議のススメ』鈴木寛

自分の先生の本を読んでみた。

熟議に思想的系譜をする章もあれば、熟議のノウハウが、ポストイットや、事前の案内メールがいる、などのかなり具体的なところまで書かれた章もある。面白かったところをいくつか書き残しておくが、とってもわかりやすいし、プロジェクトメソッドの基本が書かれていなーという印象だった。


“日常の生活で自分が感じているわけではないが、皆がそう言ってる「なんだかそんな感じ」という根拠のない情報を基にした議論をするな。
・我々が注意しなくてはいけないのは、「世の中そんなに甘くない」と切り捨てる声が出てくる主な原因は、その声をあげる人が何か確かなものを持っているのではなく、漠然とした不安感にあるという点だ。

→私たち一人ひとりが代表性をもっているのも事実だけれど、自分から何かの代表であると、何者かを定義することはとっても慎重にするべきだと思った。例えば"若者として"、"女性起業家として"、と語ることは危うい。そうじゃない誰かを傷つけるかもしれないし、間違っているかもしれない。間違ったまま声が大きくなったらば、誤解で世の中が進むことが起きたらいけないと思った。


(要約)マーケット・ソリューション、ガバメント・ソリューション、その次にあるのが、その間にある「コミュニティ・ソリューション」。情報の非対称性によって成立するマーケットでも、公共も福祉国家も厳しいわけなので、そこを担う。


→「ボランティアってよくわからない、したこともないから、どうしてやるのか心境教えてほしい」的なことをよく言われることを思い出しました。胡散臭い、いい人すぎる、サステナビリティが低い、いろんな批判はできるが、ボランティアとは、今までの仕組みではなかなか解決しないこと、あるいは予算の決定を待つ時間を許さないこと、そういうことにつかうコミュニティ・ソリューションの一つなのだと思いました。

言い換えると、ボランティアというコミュニティ・ソリューションは、多分「瞬発力?」的なことなんだと思います。予算がつくまえ、事業化するまえ、人が集まるまえに、人、モノ、コトのリソースを集めるためのスタートダッシュ。運動をつくる燃料というか。シゴトとボランティアはプロセスのフェーズが違うから比較しずらいし、運動をつくるリーンスタートアップというか、身軽さみたいなものだと思いました。

あるいは、誰かのためにという胡散臭いものではなくて、やるべきだと思ったこと、困っている人への想像力が働いたときに、自分の手足が動く、その瞬発力を鍛えることだと思います。

この観点から、中高時代にPBLをすることの価値は、このアジリティを加速させることだと思います。それが想像力にも必ず繋がる。養う家族がいるわけでなく扶養家族である未成年の状況で、生きるためにお金を稼ぐ必要のないゆとりのなかで、「純粋にやりたいことをやる」これはすごくすごく重要なんじゃないかと思いました。


ほかにも論点あるけれど、これだけメモ失礼します!


今月の触れたもの

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